[【逸見坂(へんみざか)
白山4-32と34の間
「白山神社裏門の南、小石川御殿町と指ヶ谷の間より南へ御殿町へ上る坂あり、逸見坂といふ、旧幕士逸見某の邸、坂際にありしより此名に呼ぶなり」(『東京名所図会』)
武家屋敷にちなむ坂名である。このあたり「旧白山御殿町」で、逸見坂はその北のはずれにあたる。
町名の由来は、白山御殿(後に五代将軍になった館林候綱吉の屋敷)からきている。
御殿廃止後、江戸幕府の薬園(現在の小石川植物園)となる。
坂の西側の「本念寺」には蜀山人(太田南畝)の墓がある。
-郷土愛をはぐくむ文化財-
東京都文京区教育委員会
平成元年11月 (「逸見坂(へんみざか) – Monumento(モニュメント)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駒込絵図」[絵図中央右方向・白山権現下にヘンミサカと描かれています。]
マーカーは逸見坂の坂上です。
逸見坂上・カメラ東北東方向が逸見坂です。
逸見坂の標識板
逸見坂下・カメラ南西方向が逸見坂で、カメラ方向右の建物基礎壁ぎわに逸見坂の標識板があります。