女夫坂

[四谷の忍原横町に夫婦坂(※女夫坂)というのがある。北から南に下がって、さらにまた南に上る二つの小さな坂である。昔は相当に傾斜を持った、大小二つの坂のつながりであったということである。これも一つの名を、二つの坂に利用した巧妙な名の付け方である。二つそろってはじめて夫婦坂と言えるのである。一つだけでは夫婦坂にはならない。  (「横関英一著 – 「江戸の坂 東京の坂(全)」より)]

江戸時代には、この辺一体が茅野であったのを徳川幕府の御先手組の組頭であった「諏訪左門」が開地して組屋敷地としてことから、俗に「左門殿町」と呼ばれてきた。南に二ヶ所、東北に一ヶ所の木戸があり、表左門町、裏左門町と呼ばれていたが、明治期になり左門町となったとされる(東京名所図会)。
明治5年7月に忍原横町にある通称左門殿町とされる武家屋敷を、従来の俗称を残して「四谷左門町」と称したのが始まりとなる。昭和18年4月1日、左門町に平長町が合併して左門町が成立した。  (「歴史・沿革 | 左門町町会(新宿区四谷)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図」(絵図中央左に忍原ヨコ丁が描かれています。)

マーカーは女夫坂の坂上です。

女夫坂上・カメラ南方向が女夫坂です。

女夫坂下・カメラ南方向、T字路交差点が女夫坂下です。

女夫坂上・カメラ西北西方向、T字路交差点が女夫坂上です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*