地蔵坂
[『砂子の残月』に「地蔵坂 酒井修理太夫下屋敷脇 天神町へ下る坂也」とある。坂名の由来については不明であるが、おそらく近辺にあった地蔵尊にかかわりがあるものと思われる。
設置者: 東京都新宿区教育委員会
設置日: 平成三年九月 (「地蔵坂(新宿区牛込天神町)」より)]
渡邊坂
[江戸時代、坂の東側に旗本渡邊源蔵の屋敷があったのでこう呼ばれた。源蔵は五百石取りの御書院番で、寛文七年(一六六七)に市谷鷹匠町の屋敷と引換えにこの屋敷を拝領し、渡邊家は幕末までこの地にあった。
設置者: 新宿区教育委員会
設置日: 平成十三年三月(坂上部、坂下部の標識)、平成十六年二月(坂下の標識) (「渡邊坂(新宿区)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 小日向絵図(嘉永五年・1852年)」(絵図四つ切右上・田地の上に渡邊源蔵と描かれています。その右の道が渡邊坂です。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [18]拾九利(嘉永五年・1852年)」(コマ番号7/7・絵図中央右上に渡邊源次郎と記述されています、その右道が渡邊坂になります。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国牛込区神楽町近傍(五千分一東京図測量原図のうち(明治16・1883年)」(地図四つ切左上・天神町と東榎町の間に地蔵と記述され、中里町左の道に渡部坂と記述されています。)
マーカーは地蔵坂の坂上です。
「地蔵坂(牛込天神町) – Google Map 画像リンク」「渡邊坂 – Google Map 画像リンク」
地蔵坂上・カメラ北方向が地蔵坂で、カメラ右に地蔵坂の標柱があります。
地蔵坂下・カメラ西南西方向に地蔵坂の標柱があり、カメラ南方向が地蔵坂です。
渡邊坂上・カメラ北方向が渡邊坂で、カメラ右方向・信号柱左に標柱があります。
渡邊坂下・カメラ南南東方向が渡邊坂で、カメラ方向右駐車場入り口標板右に標柱があります。また標柱の右後ろが北野神社です。