自証院坂

自証院坂は東京都新宿区富久町7丁目東側の道、靖国通りから自証院山門まで上る坂で、江戸時代明治時代には自証院の参道で、江戸時代には自証院坂の両サイド(成女学園から善慶寺手前まで)、靖国通りから東京都立総合芸術高等学校手前まで自証院敷地でした。

[自証院は、寛永17年(1640年)、尾張藩徳川光友の夫人・千代姫の母、自証院を供養するために創建された寺です。最初は日蓮宗「本理山自証寺」でしたが、天台宗に改宗されました。古くは桜の名所であったといいます。また、堂塔の用材に檜の節目が多いものを用いたため、「ふし寺」または「瘤寺(こぶでら)」とも呼ばれました。明治時代末期、この付近に住んでいた文学者・小泉八雲が自証院の風致を大変好みました。境内で杉の木を切り倒す音を聞いて、杉の木がかわいそうでいたたまれなくなって転居したという逸話も残されています。境内には、弘安6年(1283年)に造立された、区内最古の阿弥陀三尊種子板碑(新宿区指定文化財)などがあります。  (「自証院 – 新宿観光振興協会」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 大久保絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図左端中央に自証院コブ寺ト云と描かれています。)

国際日本文化研究センター – 東京市牛込區全圖 : 明治四十年一月調査」(地図四つ切左下・自証院が描かれています。自証院門前、成女学校(現成女学園中学校・成女高等学校)右の道が自証院坂になります。)

マーカーは自証院坂の坂上です。

自証院坂 – Google Map 画像リンク

自証院坂上・カメラ位置は自証院山門前で、カメラ北北西方向が自証院坂です。

自証院坂下・カメラ位置は靖国通りで、カメラ北北西方向が自証院坂です。