[東京都渋谷区立白根記念郷土記念館『渋谷の坂』(昭和60年)には、
『恵比寿駅東口から田町駅方面に通じるバス路線に面する恵比寿3丁目の1番と2番との間の横町を入ると、屈折した急坂にさしかかる。この坂が伊達坂である。この坂上に享保3年(1718)から。伊予国宇和島藩の伊達家の下屋敷があった。それ以前は、長府藩毛利甲斐守綱元の拝領屋敷で、坪数は約11,000坪あったという。この家敷が享保3年9月に上知となり、伊達家の下屋敷となったもので、同家はその後明治維新に至るまで変化はなかった。 明治22年(1889)から、この伊達屋敷があった一帯が伊達跡、その東側の地域が伊達前と称されるようになったが、昭和3年(1928)には両町が合併して伊達町となった。この坂名や町名は、いうまでもなく、伊達邸に由来するものである。なお、現在恵比寿駅方面から田町駅方面に向かうバス路線に「伊達坂上」(恵比寿2丁目)という停留所があるが、このバス路線の坂道が伊達坂ではないので注意を要する。』
とあります。 (「伊達坂(渋谷区恵比寿)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図」(絵図四つ切右上に伊達遠江守下屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [4]拾六中」(コマ番号2/5・絵図中央に伊達遠江守下屋敷が描かれています。屋敷地の左上の道の下側に、伊達坂が接続していると思います。伊達遠江守下屋敷のエリアは恵比寿3丁目10~16,21,22と思われます。)
マーカーは伊達坂の坂上です。
伊達坂上・カメラ北東方向が伊達坂で、カメラ東方向右一帯が伊達遠江守下屋敷になります。
カメラ南方向が伊達坂上です。
カメラ南西方向、北方向が伊達坂です。