目切坂

[東横線代官山トンネルの真上にある交差点の一番せまい道を入ると、目切坂がある。この坂は、青葉台1丁目と上目黒1丁目の境を、高い塀と住宅に囲まれて、いくつかに折れ曲がり、西に下っている。坂の形は、今も昔もあまり変わりはないという。この坂のある位置は、東横線中目黒駅のホームから代官山の方を見るとわかるように、ちょっとした山となっている。この山を丸旦(まるたん)山と呼び、急な傾斜になっている。そのためふもとから山頂までは、切通しを設けねばならなかった。ところが、この坂は、斜めに切通しをしたので、ちょうどひき臼の目切に似ていたという。また、明治10年ごろまで、この坂上で伊藤與右ヱ門という者が、石臼の目を切る仕事をしていたということで、「目切坂」と呼ばれたそうだ。ほかにもいくつか説はあるが、はっきりしたことはわかっていない。またこの坂は、昔、鎌倉街道の中途にある昼なお暗い林の中を通っていた。そんなことから別名を「くらやみ坂」または「しめ切坂」などとも呼ばれていた。  (「目切坂 目黒区」より)]

[地蔵・道しるべ 猿楽町30番
 地蔵尊が現世と来世の間に出現して死者の霊を救済するという信仰は、民衆の間に広く信じられてきました。また、小児の霊の冥福を祈る意味でも地蔵尊が造立されました。道の辻などに建てられた場合には、道路の安全を祈ることのほかに、道しるべになることもあります。
この地蔵尊は、文政元年(1818)の造立で、その台座正面には、「右大山道南無阿弥陀仏、左祐天寺道」と刻んであります。地蔵堂背後の坂道は、目切坂または暗やみ坂といい、この坂道を下って目黒川を渡ったあと、南へ進むと祐天寺方面に達し、北へ進むと大山道(国道246号)に達します。また,堂前を進むと並木橋に達します。江戸時代には、人家もまばらな、さびしい道で、旅人はこの道しるべを見て安心したことでしょう。
渋谷区教育委員会  (「地蔵・道しるべ 猿楽町30番 – Monumento(モニュメント)」より)]

[目切坂と旧鎌倉街道
めぐろ風景 MEGURO-55
目黒区みどりの散歩道
目の前の坂が目切坂。江戸時代、近くに石ウスの目切りをする腕の良い石工が住んでいたことから、、この名前がついたという。
この道はかつての鎌倉街道でもある。源頼朝が鎌倉に幕府を開いた後、変事の際に援軍が鎌倉に急行できるようにとつくられた道の一つ。「いざ鎌倉へ」と、鎧かぶとの武者たちが馬を飛ばしたのは800年も昔の話だ。」』
と書いてあります。  (「目切坂と旧鎌倉街道 – Monumento(モニュメント)」より)]

[(名所江戸百景・目黒元不二(現在の目黒区上目黒1丁目 目切坂付近)ファイル:100_views_edo_025.jpg]

マーカーは、(カメラ位置-1)です。

カメラ南南西方向が目切坂で、カメラ南南東方向左に地蔵尊と「地蔵・道しるべ」の案内板があります。また、カメラ北西方向が旧朝倉家住宅の門扉です。(カメラ位置-1)

目切坂上(目黒元富士跡)・カメラ西方向が目切坂です。坂左、樹木傍に「関東の富士見100景」に案内板があります。また、その左方向に目黒元富士跡の案内板富士信仰と元富士の案内板があります。

目切坂下・カメラ東方向が目切坂で、カメラ方向左に標柱があります。

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