馬喰坂

[山手通りの田道の信号地点で、 中目黒4丁目と目黒3丁目との境の道を入り、 西にうねうねと上って行く坂です。 坂の上で そこから左(南東)に下っている十七が坂に出会います。 坂上で右に行くと現代彫刻美術館・長泉院があり、その先には”なべころ緑地公園”があります。 坂の名の由来について標識には             
『目黒の古い方言で、 風雨にさらされ地面に穴のあいた状態を「ばくろ」といった。 この坂にはこの「ばくろ」が多かったので、ばくろ坂とよぶようになつたといわれる。 馬喰とはあて字であろう。』
と記載されています。 また、坂の上には庚申塔があり、次の説明が記されています。
 『馬喰坂上の庚申塔群       目黒3-21
江戸時代、 この辺りの農村では 庚申信仰がさかんであったようです。 各集落ごとに講の人たちが当番(根がら)の家に集まって青面金剛をまつり、 長寿や豊作を祈って飲食をともにしながら、 夜を明かしました。 この4基の庚申塔は3年18回の集まりを終えて、 その供養や記念のために施主名を刻み建てたものでしょう。
庚申塔群に、 向かって右から二番目の板碑型碑は、 延宝8年(1680)の銘があり、 下部に三猿を浮彫りにし、願文がなく戒名だけが刻まれている珍しいものです。 一番右の駒型碑は宝永7年(1710)、 三番目の駒型碑には宝永3年(1706)の銘があり、 ともに合掌六臂の青面金剛と日月、 二鶏、三猿が浮彫りにされています。一番左の駒肩碑は、寛保2年(1742)のもので、 三猿は小さく、日月を包む瑞雲が八字形のを形づくっています。 
     平成5年3月      目黒区教育委員会』  (「馬喰坂」より)]

[馬喰坂を登り切った左手に永隆寺という寺の墓地があります。坂に面した一画に「馬喰坂庚申塔群」と呼ばれている4基の庚申塔が建っています。大人の目線ぐらいの高さにあるので道路わきにあるかと思って探しているとうっかり見逃してしまいそうになります。
向かって右から
宝永7年(1710) 駒型碑
延宝8年(1680) 板碑型碑
宝永3年(1706) 駒型碑 
寛保2年(1742) 駒型碑
しっかりと青面(しょうめん)金剛像や三猿などが彫られています。  (「風の又三郎的散策記: 庚申塔2 馬喰(ばくろ)坂上庚申塔群」より)]

簿冊標題:江戸御場絵図(文化2(1805)年)」(絵図は南方向が上になっていますので、反転して北方向を上にすると見やすくなります。反転絵図中央右方向・「中目黒」右下に長泉院、上に正覚寺、左下に祐天寺が描かれています。八幡は中目黒八幡神社、神明社は上目黒天祖神社になります。また、長泉院右下に目黒川に架かる字伝道ハシが描かれています、この橋は田道橋で、右上方向に字茶屋坂が描かれています。長泉院と字伝道ハシの間が馬喰坂になります。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図の中目黒下、中里と谷戸前の間の道が馬喰坂になります。

マーカーは馬喰坂の坂上です。

馬喰坂 – Google Map 画像リンク

カメラ西南西方向階段上に馬喰坂上の庚申塔群があります。

馬喰坂上・カメラ北東方向が馬喰坂で、坂左に馬喰坂の標識柱があります。また、カメラ南角に庚申塔群があります。

馬喰坂下・カメラ位置は田道の信号地点で、カメラ南西方向が馬喰坂です。

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