[中目黒4丁目13番と14番、16番の間の急坂をなべころ(別名:なべごろ)坂という。昔、鍋が転がるほどの急坂であったことからこの名がつけられたとする説と、「なべごろ」とは赤土が水でやわらかくなった状態を示す、目黒の古い方言であったとする説がある。「なべごろ坂」とする説によると、坂道の両側には古くは耕地があり、坂道は狭く曲がっていた。用途が比較的少なかったためか、改造されることもなく、昔ながらの道路面は表土の黒土層が洗い流されて、赤土層が露出していた。そのため夏の乾燥日には赤土のかたまりがごろごろしていたし、冬の雪の日や春の霜解け、入梅期の雨の日などには赤土がぬかっていたという。 (「なべころ坂 目黒区 」より)]
「簿冊標題:江戸御場絵図(文化2(1805)年)」(絵図は南方向が上になっていますので、反転して北方向を上にすると見やすくなります。反転絵図中央右方向・「中目黒」右下に長泉院、上に正覚寺、左下に祐天寺が描かれています。八幡は中目黒八幡神社、神明社は上目黒天祖神社になります。なべころ坂は「中目黒」内の農道と思われます。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図の中目黒下、田道耕地左の道がなべころ坂になります。
マーカーはなべころ坂の坂上です。
なべころ坂上・カメラ東北東方向がなべころ坂です。
なべころ坂下・カメラ西南西方向の左がなべころ坂です。