[目黒区の上目黒1と中目黒1の境の駒沢通りを、鎗ヶ崎信号地点辺りから大きく左へ曲がり、目黒川へ向って南下している坂です。 坂の傾斜は緩やかです。 坂の名の由来は、坂上近くにある東京都が建てた標識に次のとおり記載されています。
『坂名は、 別所坂と目切坂の間に新しく開かれたため、 新道坂と呼ぶようになった。 坂上の左右に見えるコンクリートのようへきは三田用水のなごりである。 三田用水は、寛文4年(1664年)芝白金御殿の池水を引くために玉川上水の分水路としてつくられ、 この尾根を通って三田 ・ 芝方面に流れていた。人々は農業 ・ 工業 ・ 雑用水として利用したが昭和50年その流れを止め、 約300年にわたる歴史を閉じた。 線路ぎわの狭い坂が旧道である。』
上の説明にある旧道は、新道と東急東横線の間にあります。坂上で新道に出ます。 (「新道坂」より)]
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右上方向・「中目黒」上方向、三田用水の左上、二又の左が目切坂で右が新坂です。新坂が下で合流する、右の道上方向が別所坂になります。)
右に中川修理大夫と描かれています。中川修理大夫屋敷地が後の西郷従道邸で、現在西郷山公園、菅刈公園となっています。相ノ坂は中川修理大夫屋敷地北西端にあることになります。]
マーカーは新道坂の坂上です。
新道坂上・カメラ南西方向が新道坂です。
旧道の坂上・カメラ西方向が新道の旧道です。
旧道の坂下・カメラ北東方向が新道の旧道です。
カメラ北北西方向に東京都が設置した標識があります。
新道坂下・カメラ北方向が新道坂です。