[青葉台3-3目黒区立菅刈小学校の北西側の道を北東に、途中で弧を描き北に上っている坂です。 坂下付近は緩やかですが、途中から傾斜が急になってきます。坂下にある標識には、次のとおり記載されています。
相ノ坂
大坂(玉川通り)と新道坂(駒沢通り)の間(あい)にある坂なので、「あいの坂」とよばれるようになった。
昭和58年3月 目黒区教育委員会 (「相ノ坂」より)]
[明治30年代、菅刈小学校の建っている場所は西郷邸の牧場だった。牛を1~3頭ほど飼い、西郷家の自家用牛乳をとっていた。
野菜も自家用の菜園で栽培し、当時このあたりではどこの農家もつくっていなかったトマトなども栽培していた。(中略)
当時のトマトは今のよりも青臭いにおいが強く、現在の青葉台4丁目(中略)のあたりにまで、そのにおいがただよってきた。
味は今のものよりずっとおいしかった。(小出泉「菅刈小学校100周年」より) (「菅刈山公園(西郷従道邸跡) – FC2」より)]
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右上方向・「上目黒」右に中川修理大夫と描かれています。中川修理大夫屋敷地が後の西郷従道邸で、現在西郷山公園、菅刈公園となっています。相ノ坂は中川修理大夫屋敷地北西端にあることになります。]
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年の地図で西郷邸の左上の道が相ノ坂と思われます。
マーカーは相ノ坂の坂上です。
相ノ坂上・カメラ南方向が相ノ坂です。
相ノ坂下・カメラ北東方向が相ノ坂です。