[世田谷区宮坂1丁目25番と26番の間を北に上る坂道です。世田谷八幡宮の境内の東脇を上る坂道であり、坂名はこれに由来します。
世田谷区教育委員会『世田谷の地名:区域の沿革・地誌・地名の起源(上)』には、
『宮ノ坂=世田谷八幡神社の東側、世田谷線とほぼ併行している坂が「宮ノ坂」でそれに続く区域であるので「宮ノ坂」としたものである。』
とあります。坂道の標識は設置されていません。
なお、世田谷八幡宮については、世田谷区教育委員会が設置した標識があり、そこに次のとおり書かれています。
『世田谷八幡宮
この神社は、源義家が奥州の内乱をとりしずめた記念として建てたとつたえられる。その後、天正15年(1587)に世田谷城主の吉良頼康が、新しく建てた。宮坂八幡・宇佐八幡ともよばれ、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后をまつる。社殿は文化10年(1813)の建築で現在の社屋の中におさめてある。昔から行われている秋祭の奉納角力は有名である。
昭和47年12月
世田谷区教育委員会』
「奉納相撲の世田谷八幡」はせたがや百景に選ばれています。 (「宮の坂(世田谷区)」より)]
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央左上、世田谷左上、豪徳寺の左、八幡社が世田谷八幡宮で、その右の道が宮の坂です。)
マーカーは宮の坂の坂上です。
宮の坂上・カメラ南南西方向が宮の坂です。
宮の坂下・カメラ北方向が宮の坂です。
カメラ北北東方向が世田谷八幡宮大鳥居です。