[松高山傳乗寺は、世田谷区内における古刹であり、その縁起は遠く後伏見天皇の正和5年(1316)と刻まれた板碑の発掘によっても知られるものである。往昔傳乗寺は坂の東側台地に所在し、かつ本道とならんで僧侶の学寮が建てられていたために、この坂道を土地の人々は寮の坂と呼んでいる。坂上にある民家の屋号が堂の上と通称されていたことと考え合わせると、この坂の名称の由来が思い起こされる。なお、寮の坂の東側にある雙葉学園を抱く盆地は、室町時代に籠谷戸と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔滔(とうとう)と打ち寄せ、時の奥沢城主大平出羽守は、上流から運ばれた武器、兵糧の類を籠谷戸の寮の坂あたりに陸揚げして城へ運び入れたともいい伝えられている。さらに時代は下り、江戸時代に入ると、川崎泉沢寺と奥沢浄真寺の中間軍事拠点として小山傳乗寺がこれに当り、寮の坂は軍用道路として兵馬の往来がはげしかったそうである。
設置者: 不 明
設置日: 昭和六十年三月 (「寮の坂(世田谷区)」より)]
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央下「尾山」上に八幡社が描かれています、これが尾山台宇佐神社だと思われます。その右道が寮の坂と思われます。]
マーカーは寮の坂の坂上です。
寮の坂上・カメラ南方向に寮の坂の石碑があり、カメラ南方向右が寮の坂です。
宇佐神社参道前のカメラです。
伝乗寺山門前のカメラです。
寮の坂下・カメラ北北東方向が寮の坂です。