[世田谷は昔から鎌倉幕府との縁が深く、吉良家が滅ぶと、多くの家臣はこの地に土着帰農しました。その一族の方が、祖先供養の為に菩提寺を各所につくりました。この野毛一丁目にも「浄音寺」と言うお寺があり、鎌倉から尼僧を招いたそうです。しかし、天保の頃に焼失してしまったそうです。今では、当時の記憶は無く、坂道の名前として残されています。また、浄音寺は坂の左側ですが、右側は坂下の橋の天神橋という名前にもなっている「天神山古墳」があります。今は住宅地です。 (「浄音寺坂 : 世田谷 玉川村名所物語 」より)]
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左下「下野毛」の右下に浄音寺が描かれています。浄音寺の右側に浄音寺坂があることになります。]
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図の下野毛と谷戸の間の道が浄音寺坂です。
マーカーは浄音寺坂の坂上です。
浄音寺坂上・カメラ南南東方向が浄音寺坂です。
カメラ北東方向に浄音寺坂の石碑があります。
浄音寺坂下・カメラ北方向が浄音寺坂で、カメラ南東方向電柱手前に天神橋の碑があります。