[ここは坂の坂上に位置し、崕雪頽(がけなだれ)という急斜面を蛇行して下る坂道の跡がわずかに残されている場所です。坂は上駒込村から上尾久村方面へと向かう上尾久村道の途中に位置していました。鉄道が通るようになると坂下には踏切が造られ、大正時代の末から昭和の初期には跨線橋がつくられるにいたりました。モチの木が坂上にあったといわれ、明治10年代の『東京府誌・村誌』にはモチ坂とありますが、この名称は後にはあまり使われなくなっていったようです。
かつて坂道が存在したところは、鉄道敷設部分にあたり、現在ではその様子を見ることができません。 (「北区の坂道モチ坂|東京都北区」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡中里村絵図面」(コマ番号3/4・圓勝寺が描かれ、その下の二本の道が左端で合流しています。下の道が上尾久村道です。コマ番号2/4・絵図中央右下で二本の道が合流して坂道を下ります、この坂がモチ坂で、坂道は上尾久村方向に進んでいます。)
マーカーはモチ坂の標識前です。
坂の所在定かではなく標識のみの坂。カメラ北北東方向に標識があります。