[田端の台地から下谷浅草方面へ出る坂道で、坂名もそれに由来するもののようです。この坂の近くに、詩人の室生犀星、俳人の瀧井孝作、画家の池田輝方、池田蕉園夫妻、画家の岩田専太郎、詩人の福士幸次郎が住んでいました。坂上の左手に露月亭という茶屋があり、陶芸家である板谷波山が35歳の頃、そこで、飛鳥山焼と銘を入れた徳利と猪口を売ったことがあったということです。
北区教育委員会
現在は田端文士村記念館が坂道下方にあり、田端で活躍した文士や芸術家について知ることができます。 (「北区の坂道江戸坂|東京都北区」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡田端村絵図面」(絵図中央下に東覺寺が描かれ、境内上に八幡が描かれています。境内右の道が東覚寺坂になります。その坂の上方向、上尾久村に下る道が江戸坂になります。)
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図で東臺通、西臺通から下田端に下る道が江戸坂になります。
マーカーは江戸坂の坂上です。
江戸坂上・カメラ北東方向が江戸坂です。
カメラ北西方向が江戸坂の標識です。
江戸坂下・カメラ西北西方向が江戸坂です。