小篠坂

[豊島区と境を接する坂である。この坂道は、江戸のころ、護国寺の北西に隣りあってあっ た。”江戸幕府の御鷹部屋御用屋敷”から、坂下の本浄寺(豊島区雑司が谷)に下る坂として新しく開かれた。往時は笹が生い繁っていたことから、この名がついたものであろう。坂下一帯は、文京区の区域を含めて、住居表示改正まで、雑司が谷町とよばれていた。近くの目白台に長く住んだ『窪田空穂』は、次のようによんでいる。
   雑司が谷 繁き木立に降る雨の
      降りつのりきて 音の重しも
設置者: 東京都文京区教育委員会
設置日: 平成元年3月  (「小篠坂(文京区大塚・千石方面)」より)]

[この坂を小篠坂といい、小笹坂とも書く。
 江戸時代後期の「若菜抄」によれば小笹坂とあり、17世紀はじめ御鷹部屋が現在の雑司ヶ谷霊園内にできてから、本浄寺の東に谷道を新道として開いたといわれる。この坂の東側は江戸時代初期、大塚御薬園であったが、天和元年(1681年)に護国寺となった。江戸名所図会には小篠坂と記されている。
設置者: 東京都
設置日: 昭和59年3月  (「小篠坂(文京区大塚・千石方面)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図上中央護国寺左に本浄寺が描かれています。本浄寺の右道が小篠坂と思われます。)

マーカーは小篠坂の坂上です。

小篠坂 – Google Map 画像リンク

小篠坂上・カメラ南方向が小篠坂です。

カメラ北東方向に東京都の小篠坂の標柱があります。

東京都文京区教育委員会の小篠坂の案内板

小篠坂下・カメラ北北西方向が小篠坂で、カメラ方向右に東京都文京区教育委員会の小篠坂の案内板があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*