異人坂

[【標識の説明】
 坂上の地に、明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。ここに住む外国人は、この坂を通って、不忍池上野公園を散策した。当時は外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうとなく、外国人が多く上り下りする坂なので、異人坂と呼ぶようになった。
 外国人の中には、有名なエルヴィン・フォン・ベルツ(ドイツ人)がいた。明治九年(1876)ベルツは東京医学校の教師として来日し、日本の医学の発展に貢献した。ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。
 異人坂を下りきった東側に、明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられた。今の2丁目13番地付近の地である。経営者は朝倉松五郎で、日本のレンズ工業の生みの親である。  (「文京区の坂(5) ~ 弥生・根津方面」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図中央右下、水戸殿中屋敷の右下に霊雲寺下と描かれています。霊雲寺下は妙極院のことで、妙極院は湯島霊雲寺塔頭で、霊雲寺開山浄厳和尚が当地に元禄11年(1698)創建したとされます。そこの、右上に明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられ、そこの西側に異人坂があることになります。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸絵図. 3号」(コマ番号2/6・絵図中央に水戸殿中屋敷が描かれ、その中央右に妙極院が描かれています。妙極院の左下方向の道が異人坂になると思われます。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [33]貮拾壹元」(コマ番号2/7・水戸殿中屋敷左下に霊雲寺社中妙極院が描かれています。その右方向、谷中片町の左道上方向が異人坂と思われます。)

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。1896~1909年地図中央に第一高等学校が描かれています。この地が江戸時代の水戸殿中屋敷で、その右方向根津の左下が妙極院で、その左上の土地が明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられところで、その上側の道が異人坂になります。)

マーカーは、異人坂の坂上です。

異人坂 – Google Map 画像リンク

異人坂上・カメラ東方向左が異人坂です。右側の道は言問い通り(弥生坂)開削された後に接続された道だと思います。

カメラ東南東方向に標識板があります。

異人坂下・カメラ西方向が異人坂です。

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