[【標識(文京区教育委員会設置)の説明】
この坂は音羽の谷と目白台を結ぶ坂である。坂下の東京音楽学校学生寮のあたりは、江戸時代には崖を利用して鉄砲の射撃練習をした的場(角場・大筒角場ともいわれた)であった。その近くの坂をいうことで「鉄砲坂」とよばれるようになった。 (「文京区の坂(11) ~ 音羽・関口方面」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図」(絵図中央右方向・同五丁目左に鉄炮サカが描かれ、その上に的場が描かれています。)
「東京都立図書館 – 雜司ヶ谷音羽辺図」(絵図中央右方向・同五丁目左に鉄炮坂と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [26]貮拾利」(コマ番号64/163・三丁目坂から鉄炮坂まで、コマ番号40/163・鉄炮坂より七丁目坂まで描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国北豊嶋郡高田村近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切右上・同五丁目左下に鉄砲坂と記述されています。)
マーカーは鉄砲坂の坂上です。
鉄砲坂上・カメラ東方向が鉄砲坂です。
鉄砲坂下・カメラ西方向が鉄砲坂で、坂右に案内板がありました。(2019年7月画像)