弁天坂
[坂名は坂下の南蔵院境内に弁天堂があったことに由来する。明治後期の「新撰東京名所図会」には南蔵院門前にあまざけやおでんを売る屋台が立ち、人通りも多い様子が描かれている。坂上近くの横寺町四十七番地には尾崎紅葉が明治二十四年から三十六年十月病没するまで住んでいた。門弟泉鏡花、小栗風葉らが玄関番として住み、のちに弟子たちは庭つづきの箪笥町に家を借り、誌星堂または紅葉塾と称した。
設置者: 東京都 (「弁天坂(新宿区)」より)]
袖摺坂
[狭い坂道でお互いに袖を摺り合わせるほどだったという。そんなことから、誰いうとなく袖摺坂というようになったという。
設置者: 東京都新宿区教育委員会
設置日: 平成三年九月 (「袖摺坂(新宿区)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 市ヶ谷牛込絵図」[絵図四つ切左下・柳沢摂津守(三日市藩)上屋敷左上方向に御箪笥町が描かれています。その前の道が弁天坂で、御箪笥町に描かれる坂が袖摺坂になります。また、御箪笥町向かいに南蔵院が描かれています。]
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国牛込区神楽町近傍(五千分一東京図測量原図のうち(明治16・1883年)」(地図中央・南蔵院右上に上から合流する坂道が描かれています。これが袖摺坂で、合流する道が弁天坂になります。)
マーカーは弁天坂下・袖摺坂下です。
「弁天坂 – Google Map 画像リンク」「袖摺坂 そですりざか – Google Map 画像リンク」
弁天坂上・カメラ北東方向が弁天坂です。
弁天坂下、袖摺坂下・カメラ北西方向階段が袖摺坂で、その左に標柱があります。また、カメラ位置は弁天坂の坂下で、カメラ西南西方向が弁天坂です。
袖摺坂上・カメラ北東方向に袖摺坂の標柱があります。