[この坂名は新編江戸志や新撰東京名所図会などにもみられる。
軽子とは軽籠持の略称である。今の飯田濠にかつて船着場があり、船荷を軽籠(縄で編んだもっこ)に入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいたことからその名がつけられた。
設置者: 新宿区教育委員会
設置日: 平成十五年三月 (「軽子坂(新宿区)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 小日向絵図」(絵図四つ切右上・揚場町右上に軽子サカが描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国牛込区神楽町近傍(五千分一東京図測量原図のうち(明治16・1883年)」(地図中央右・神楽町三丁目右に軽子坂と記述されています。)
マーカーは軽子坂の坂上です。
軽子坂上・カメラ東南東方向が軽子坂で、カメラ方向右に標柱があります。
軽子坂下・カメラ北西方向が軽子坂で、坂右ビル柱側に標柱があります。