[昔、小野美作吾という人が武蔵守となり、この地に来た時、美しい娘と恋仲になり、のち都に帰って没したが、娘の夢によりこの坂で再び逢ったという伝説に因み、逢坂とよばれるようになった。
設置者: 東京都新宿区教育委員会
設置日: 平成三年九月 (「逢坂(新宿区)」より)]
[昔、奈良時代のころ,小野美佐吾という人が武蔵守となって赴任したとき、ここにさねかづらという絶世の美女が住んでいたのを、美佐吾が思いそめ、家に引き取ってからは、かたときも離れないほどであった。年月がたち、任をおえて勅命により都へ帰り、若草山のふもとに住むようになったが、さねかづらのことが忘れられず、日ましに思いがつのって床にふすようになり、「自分が死んだら、さねかづら住む近くへ葬ってくれ」と言い残して死んだ。しかし遠国のこととて家人も遺言通りにはできず、若草山のふもとに葬って、そこを武蔵野と名づけた。一方、さねかづらも美佐吾との別れを始終悲しみ、「もう一度あわせてください」と神に祈願したところ、正夢の神のお告げによって、この坂へきて美佐吾を待っていると、昔とかわらぬ姿であらわれ、夢うつつの中でしばらく語り合うことができたが、やがて消え失せてしまった。それよりこの坂を逢坂と名づけたという。さねかづらは生きていてもしかたがないと思い、坂下の池に身を投げて死んだという。 (「逢坂 – わがまち神楽坂」より]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔〔江戸切絵図〕. 市ヶ谷牛込絵図」(絵図四つ切左下・舩河原町右に逢坂が描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国牛込区神楽町近傍(五千分一東京図測量原図のうち(明治16・1883年)」(地図四つ切右下・舟河原町に合坂と記述され、坂が描かれています。)
マーカーは逢坂の坂上です。
「逢坂 (大坂、美男坂) – Google Map 画像リンク」
逢坂上・カメラ東方向が逢坂で、坂右に標柱があります。
逢坂下・カメラ西北西方向が逢坂で、カメラ方向左に標柱があります。また、坂右に築土神社があります。