[所在地 新宿区市谷本村町2~本塩町
高力坂こうりきさか
新撰東京名所図会によれば「市谷門 より四谷門 へ赴く、堀端辺に坂あり、高力坂という。幕臣高力小次郎の邸あり、松ありしかば此名を得たり、高力松は枯れて、今、人見の合力松を存せり、東京電車鉄道の外濠線往復す。」とある。
すなわち、高力邸にあった松が高力松と呼ばれ有名だったので、その松にちなんで、坂名を高力坂と名付けたものと思われる。
昭和58年(1983)3月 東京都 (「東京都新宿区の歴史 高力坂 」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 四ツ谷絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図左上・堀下に高力小次郎屋敷が描かれています。その上道が高力坂になります。)
「国際日本文化研究センター – 東京府武蔵国麹町区番町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切左上・馬場左下、外堀縁の道が高力坂です。)
マーカーは高力坂の坂上です。
高力坂上・カメラ東北東方向が高力坂です。
カメラ南方向・街路灯と街路樹の間でガードレールの向こうに高力坂の石碑があります。
高力坂下・カメラ西南西方向が高力坂です。