[この道は、もともと増上寺裏門の涅槃(ねはん)門の通路だったそうで、かつて坂のわきに「時の鐘」なるものがあり、正則学院・芝高中・オランダ大使館・芝給水所のあるところは、広い原っばだったらしく今でいう浅草にあるようなお店が集まり、浅草のような賑わいが明治維新まで続いた場所でもあったらしい。 (「切通坂 (NO.112) / 東京坂道さんぽ | 散歩、坂、風景写真、観察記、tokyo」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図」(絵図四つ切左下・金地院上に切通ト云と記述されています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国芝区芝公園地近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治17・1884年)」(地図四つ切左上・海軍省左方向に階段坂が描かれています。そこが切通坂です。)
マーカーは切通坂の坂上です。
切通坂上・カメラ北東方向が切通坂です。
切通坂下・カメラ西方向が切通坂です。