姫下坂

[青山に姫下坂(ひめおりざかという古い坂があった。嘉永六年の『東都青山絵図』では、長谷寺という大きな寺の北にあたって「此辺長者ヶ丸」と記してある。今の赤坂青山南町五丁目の中央部にあたる。これは応安の頃の渋谷長者の屋敷があったところと言われる。図の松前伊豆守の邸中には、渋谷長者の墳墓らしい塚があったと言われる。一説に、渋谷長者の幼名は金王丸で、白金村の白金長者に対して、黄金長者と呼ばれたという。青山北町六丁目の古塚は、渋谷金王丸あるとも伝える。(赤坂青山南町五丁目、青山北町六丁目は、後の南青山三、四丁目、北青山三丁目)
渋谷長者のお姫様と、白金長者の若息子とは恋仲で、いつも笄橋で落ち合っていたという伝説もある。長者ヶ丸から笄橋へ行く途中の姫下坂という坂の名も残っている。渋谷長者の姫は、いつも乗物で供人を大勢つれて往来するのだが、時によると、乗物から下りて、この坂を、そっとひとりで歩いていくこともあるというのである。
 これが姫下坂のいわれである。
 古い昔の話だから、その坂が今でも残っているか、変わってしまったかわからないが、長者ヶ丸の姫の屋敷から笄橋に行くのには、今の図で考えてみると、どうしても長谷寺、大安寺の北わきを回って行くのがいちばん普通の道順であったと思う。そして、「長者手ヶ丸」から笄橋までの坂らしい坂は、今の「北坂」の通りだけである。しかも、この坂下には今でも古めかしい庚申塔(青山の庚申塔)なども建っている。  (「横関英一著「江戸の坂 東京の坂(全)」より)]

姫下坂/港区 – 定年時代

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 青山渋谷絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図中央・「此辺長者ヶ丸」と記述されています。また、絵図下中央・長谷寺左下、神谷乙次郎左上が笄橋になります。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図(嘉永四年・1851年)」(絵図下中央・神谷為太郎右下にコウカイサカと記述され、橋が描かれています。)

マーカーは、姫下坂の坂上です。

姫下坂上・カメラ位置は赤坂杉並線で、カメラ南西方向小路先に姫下坂があります。

姫下坂下・カメラ北西方向が姫下坂で、坂下右に青山の庚申塔があります。