[安全寺坂(あんぜんじざか)は、東京都港区三田四丁目1番地と三田三丁目2番地の間の坂道である。桜田通りの慶応義塾大学正門前付近から普連土学園へ上る細い坂で、頂上で左に曲がると潮見坂となり、そのまま進むと右に折れて蛇坂に続き、再び桜田通りに出る。
坂の西側に江戸時代初期に安全寺があったことから名付けられた。安全寺は寛永元年(1624年)の創建で、徳川家綱の代に元麻布3丁目へと移転し、同地に現存している。移転後坂上には寛文2年(1662年)伊皿子七軒町が起立し、また延宝8年(1680年)には長運寺が飯倉から移転している。隣の蛇坂から安珍・清姫伝説を連想して誤って「安珍坂」と呼ばれたり、「安楽寺坂」「安泉寺坂」などとも書かれたことがあった。坂下より・wikipedia-photo (wikipedia・安全寺坂より)]
[三田3丁目2番、4丁目1番の間
城の西に、江戸時代のはじめ安全寺があった。誤って安珍坂、安楽寺坂、安泉寺坂などと書かれたことがある。 (「港区公式ホームページ/安全寺坂」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図四つ切右上・松平主水頭中屋敷の左路が安全寺坂です。坂の中央に長運寺が描かれています。
マーカーは安全寺坂の坂上です。
安全寺坂下・カメラ南西方向が安全寺坂で、坂口右に標識があります。
安全寺坂上・カメラ東方向が安全寺坂上で、坂上に標識があり、左方向が安全寺坂になります。