[白金6丁目10番、6丁目16番の間
むかしから存在していた道であるが、明治坂と呼ばれたのは、大正初年からであると伝える。 (「港区公式ホームページ/明治坂」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図」(絵図四つ切右下中央に松平十郎麿(浜田藩)下屋敷跡が聖心女子学院になります。屋敷地上の道が蜀江坂になります。坂上にある光禪寺は興禅寺のことだと思います。興禅寺左上方向、松平阿波守(徳島藩)、松平讃岐守(高松松平家)、松平和泉守(西尾藩)の各下屋敷を通る道が明治坂になると思います。)
マーカーは明治坂の坂上です。
明治坂上・カメラ北方向が明治坂で、坂右に標識があります。
明治坂下・カメラ南南東方向が明治坂で、坂左に標識があります。