木下坂

[北側に大名木下家の屋敷があり、その門前に面していたために、呼ばれるようになった坂名である。  (「港区公式ホームページ/木下坂 」より)]

[足守藩は豊臣秀吉室・北政所の兄で播磨国姫路城主2万5千石の木下家定が、慶長6年(1601年)に当地に同じ2万5千石で転封されたことにともない立藩、足守に陣屋を構えた。慶長13年(1608年)に家定が死ぬと幕府は遺領を子の勝俊利房に分与するよう指示したが、勝俊がこれを独占したことから幕命違背を理由に慶長14年(1609年)改易された。
元和元年(1615年)には木下利房が大坂の陣での功によりあらためて2万5千石で足守に入部。これ以後江戸時代を通じて木下家が12代・256年間在封した。  (wikipedia・足守藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図(嘉永四年・1851年)」(絵図四つ切右下・木下備中守上屋敷(足守藩)が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [10]拾七中(寛永元年・1848年)」(コマ番号4/5・絵図左上南部甲斐守下屋敷、その下に木下備中守と描かれています。その間の道に木下坂が描かれています。)

国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麻布区桜田町広尾町及南豊嶋郡下渋谷村近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切右下・麻布広尾町の間の道に木下坂が描かれています。)

マーカーは木下坂の坂上です。

木下坂 – Google Map 画像リンク

木下坂上・カメラ南方向が木下坂で、カメラ方向左に標識があります。

木下坂下・カメラ北北東方向が木下坂で、カメラ方向左に標識があります。

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