[麻布から芝方面に抜ける長い坂があったため、正徳3年(1713)にこの名がついたと伝えられています。永坂は、東京の坂の名としては上野の“車坂”に次いで古いものとされ、その記録は明暦3年(1657)の「新添江戸之圖」に見ることができます。 ここも、“麻布”の冠称が今に残る、古い地名の一つです。(「港区の地名の歴史 麻布永坂町」より)]
[永坂(ながさか、長坂)は、麻布永坂町の町名の起源となった坂であり、港区麻布永坂町と六本木5丁目とのあいだを北から南に下る長い坂である。
現在は飯倉片町交差点(外苑東通り)から麻布十番・一の橋交差点まで下る東京都道(東京都道415号高輪麻布線)となっており、道は首都高速都心環状線の高架橋に覆われてしまっている。坂の上、飯倉片町交差点手前には首都高速道路の飯倉出口がある。また、坂の途中の麻布永坂町には永坂更科(麻布永坂 更科本店)がある。
永坂(長坂)の名称についてはこれまで、起因不明(『新撰東京名所図会』)、「長い坂だから。或いは、付近住人の名前から」(『新編江戸志』)、「長坂氏が居住していたためというのは付会(こじつけ)の説」(『麻布区史』)など、様々な解説がなされている。
正岡子規には永坂を詠んだ俳句 「蕎麦屋出て永坂上る寒さかな」がある。 (wikipedia・麻布永坂町より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図」(絵図中央左方向に「長サカ」と記述されています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麻布区永坂町及坂下町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央上・麻布永坂町中央の道が永坂で、道路下に永坂と記述されています。)
マーカーは永坂の坂上です。
永坂上・カメラ南方向が永坂で、坂左に標柱があります。
都道415号線合流手前のカメラです。
永坂下・カメラ南東方向に永坂の標柱があります。