[西麻布4丁目10番、4丁目11番の間
源経基や白金長者の伝説のある笄橋に続く古代の交通路で、牛車が往来したためと想像される。 (「港区公式ホームページ/牛坂 」より)]
牛坂・笄橋跡
[牛坂(うしざか、牛鳴坂、うしなきざか)は、若葉会幼稚園の前面を通る急峻な坂道である。坂は外苑西通りの裏路地である西麻布四丁目10番と11番の間に始まり、若葉会幼稚園の前を通って高樹町の高台方面まで西に登っている。
牛坂の坂下の小さな十字路付近には、かつて笄川(こうがいがわ)が流れ、橋梁「笄橋(こうがいばし)」があった。坂下の川は竜川(広尾川)とも呼ばれた。牛坂は源経基や白金長者の伝説もあるこの笄橋に下る古道で、牛車が往来したことからこの名が付いたと考えられている。また「牛坂」は略称であり、本来の名称「牛鳴坂」は、坂が険しく悪路であったために、荷牛が難渋していたことを現しているとも言われる。
この坂については『府内場末往還其他沿革図書』の天保度の図では、御太刀坂の北に並んで、笄橋西詰より旗本士邸の間を通る坂を「ウシザカ」と記載しているが、1942年(昭和17年)に編まれた地誌 『麻布区史』では牛坂について、「牛坂 ― 132番地先の坂」とだけ記している。
牛坂・wikipedia-photo (wikipedia・若葉会幼稚園 – 牛坂より)]
[「笄町」の名称は、町域を流れる笄川にかかっていた笄橋が町名の由来であるが、その笄橋は牛坂及び富士見坂の坂下に係っていた。橋は武蔵野の要路にあって古くからよく知られていたが、大正時代末期に川が暗渠とされたことで消滅した。明治時代後期に出版された地誌 『新撰東京名所図会』は笄橋について、「笄橋はむかしより其の名高けれども、実地に就て検するに笄川と称する一溝渠に架する小板橋なり。長凡そ二間、幅三間に過ぎず。もとは欄干もなかりしが、今は之を附したり。現在のものは明治33年12月の落成に係る」と記している。 (wikipedia・笄町より)]
「「資料館だより」第70号(平成24年10月1日発行)PDFダウンロード2MB – 港区名所案内 笄橋」
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図」(絵図下中央付近にコウガイハシ(笄橋)が描かれています、その下側の道が牛坂になります。笄橋は笄川に架かります。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 青山渋谷絵図」(絵図下中央に長谷寺が描かれています。長谷寺の右下の流れは笄川で、長谷寺の左の道が笄坂で、その下並行する道が牛坂になります。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [10]拾七中」(コマ5/5番号・絵図左下に笄橋が描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麻布区桜田町広尾町及南豊嶋郡下渋谷村近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央右上・谷左に笄川が描かれ笄橋と記述され、その左に牛坂と記述されています。)
マーカーは牛坂の坂上です。
牛坂上・カメラ南西方向が牛坂上にある牛坂の標識で、カメラ東南東方向が牛坂になります。
牛坂下・カメラ西方向が牛坂で、坂左に標識があります。