[江戸時代、坂のがけ下に幕府の鉄砲練習場があったことからこの名がついた。 (「港区公式ホームページ/鉄砲坂(てっぽうざか)」より)]
[港区南麻布五丁目、北条坂ともいう。嘉永二年の江戸切絵図『麻布広尾辺絵図』(金吾堂版)には、北条坂のふもとのほうに、「井上左太夫組、御先手組」とある。「御先手組」というのは、戦時または将軍他行の際、先頭に立つ部隊であって、与力同心をもって組織したものであるが、その中には有力な鉄砲組が含まれていたのである。その鉄砲組が練習するところが、鉄砲坂の崖下であった。それから、井上左太夫というのは、江戸時代の世襲の御鉄砲方御用衆であった。だから、鉄砲坂付近には、この井上左太夫組の組屋敷があったのである。 (横関英一著 – 「江戸の坂 東京の坂(全)」より)]
「東京都立図書館 – 麻布広尾辺絵図」(絵図四つ切左上・堀田備中守下屋敷、笄川下に井上左太夫組御先手組と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図(嘉永四年・1851年)」(絵図四つ切右下・堀田備中守下屋敷、笄川上に御先手組と描かれ、その左の路が鉄砲坂です。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [10]拾七中(嘉永元年・1848年)」[コマ番号5/5・絵図中央右端に北條相模守下屋敷が描かれ、その左の道に坂印が描かれています。そこが北条坂です。その下井上左太夫組与力同心大繩地、その右に井上左太夫(コマ番号4/5)と記述されています。]
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麻布区桜田町広尾町及南豊嶋郡下渋谷村近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図四つ切右下・麻布笄町右に笄川に下る北条坂が記述され、その左方向が鉄砲坂になります。)
マーカーは鉄砲坂の坂上です。
鉄砲坂上・カメラ西北西方向が鉄砲坂で、坂右に標柱があります。
鉄砲坂下・カメラ東南東方向が鉄砲坂で、坂左に標柱があります。