[霞坂(かすみざか)は、霞町の中央を通る坂で西麻布一丁目と三丁目の間を西南に下っている。現在の地理では、首都高速3号渋谷線の高架下を走る六本木通りを西麻布交差点から六本木交差点方面に向かう上り坂が霞坂である。谷底である西麻布交差点から六本木通りを逆方向(北東、高樹町方面)に上る坂は笄坂と呼ばれる。
1942年(昭和17年)に編まれた『麻布区史』はこの坂を、「霞坂 - 霞町電車通りの坂を霞坂と呼び、途中の21番地に日蓮宗境外仏堂観音堂がある」と紹介している。 (wikipedia・霞町より)]
[西麻布1丁目8番、3丁目20番の間
明治初年に霞山稲荷(現在の桜田神社)から霞町の町名ができ、そこを貫通する道が明治20年代に開かれて霞坂と呼んだ。 (「港区公式ホームページ/霞坂 」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [12]拾七下」[コマ番号3/7・地図下に長谷寺が描かれています。6/7・地図上中央に長谷寺が描かれ、長谷寺右方向の道のさらに右側に、阿部誠一郎屋敷地中央を横断して明治に入って道路が造られ、そこが南青山六-七丁目に至る笄町電車通りとなります。そこに霞坂が出来ます。]
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麻布区桜田町広尾町及南豊嶋郡下渋谷村近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央上・麻布区の左上、谷に下る道が現在の笄坂になります。谷の右方向に後に笄町電車通りが出来、そこに出来る坂が霞坂になります。また、坂上となる場所に阿部邸が描かれています。)
「東京都立図書館アーカイブ – 東京市麻布区」(出版年-1911.8)[地図中央左上方向、霞町のエリアが阿部播磨守屋敷地になります。)
マーカーは霞坂の坂上です。
霞坂上・カメラ南西方向が霞坂で、坂左に霞坂の標柱があります。
霞坂下・カメラ東方向が霞坂で、カメラ方向左に標柱があります。