[千石三丁目21から、今は暗渠となっている千川の通りまで一直線に下る坂道である。この坂道は、昭和9年(1934)尾張屋銀行が住宅開発を行った時に造成された。
『有栖川宮総記』によれば、旧幕府若年寄平岡丹波守道弘の控邸であり、維新後、嘉納希之(三男が講道館柔道の創始者嘉納治五郎)の所有となり、紅緑荘と称した。邸内は「林泉池塘の勝ありて風景頗る佳なり。殊に鷺猟に適す」とある。
(中略)
明治19年に有栖川宮熾仁親王は同邸を譲り受け、明治40年宮家はこの地を手放された。この地を愛された有栖川宮を慕い、新しく宅地造成のときに出来た坂を人は宮坂と呼んだ。
『ぶんきょうの坂道』(文京区文京ふるさと歴史館発行、平成25年3月28日改訂版発行(第11刷)より。
距離: 137m | 高低差: 8.34m
東京都 文京区 千石三丁目 19
緯度:35.726203 経度:139.735744 (「nishifu | リスト – 坂マップ – 30maps」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図右下に東福寺が描かれています、その右が水野壱岐守(鶴牧藩)下屋敷、平岡石見守下屋敷が描かれています。平岡石見守下屋敷跡には後年の開発により宮坂が出来ています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [25]貮拾亨(嘉永七年・1854年)」(コマ番号4/5・絵図中央右端に平岡石見守、抱屋敷と描かれています。コマ番号3/5・絵図中央左端に平岡石見守、抱屋敷と描かれています。)
マーカーは宮坂の坂上です。
宮坂上のカメラです。
宮坂下のカメラです。