[豊島区池袋3丁目と西池袋5丁目の間、祥雲寺山門前から要町1丁目交差点までの坂で、途中祥雲寺坂の呼称が付いた交差点があります。]
祥雲寺
[祥雲寺(しょううんじ)は、1532年(天文元年)江戸城主遠山景久の開基、曹洞宗の僧大州安充を開山として創建され、当初寺号を浄光院と号した。現在の寺号となったのは1709年(宝永6年)である。
また、はじめは江戸城和田倉門内にあったが、その後江戸城の拡張などにより寺地を転々とし、現在の池袋に移転したのは、1915年(大正4年)のことである。
不定期で伽藍を使用して、「坊主’n coffee」という喫茶店を運営している。 (wikipedia・祥雲寺_(豊島区)より)]
[瑞鳳山祥雲寺
祥雲寺は後北条氏の重臣江戸城主遠山隼人正景久によって、永禄七年(一五六四)に江戸城和田倉門内に駒込吉祥寺の末寺として創建されたのが始まりで、開山は吉祥寺安充和尚である。当初は景久の室(北条上総介綱成の娘)の菩提所として法号にちなみ浄光院と称し、永禄七年に戦死した景久の法号から瑞鳳山浄光院と号した。
天正十八年(一五九〇)後北条氏滅亡にともない遠山氏も退転したため、しばらく吉祥寺の隠居所となり、神田台(駿河台)、小日向金杉、小石川戸崎台と移転した。寛永六年(一六二九)に信州松本藩戸田氏が檀越となり、数度の火災の復興に際しても多大な尽力をした。宝永六年(一七〇九)、五代将軍徳川綱吉の死により御台所が落飾して浄光院殿と称したのち憚かり、戸田氏最初の檀越康長の法号により瑞鳳山祥雲寺と改号した。
当地への移転は明治三十九年であり、重宝類は昭和九年の火災に焼失したl。現在の本尊の薬師如来は胎内銘によれば、天正十七年(一五八九)の造立になるという。墓地には戸田家代々の墓、酒豪として知られた三浦樽明、首斬り浅右衛門の七代山田浅右衛門などの墓がある。(豊島区教育委員会掲示より) (「瑞鳳山祥雲寺|豊島区池袋にある曹洞宗寺院 – 猫の足あと」より)]
マーカーは、祥雲寺坂の坂上です。
祥雲寺坂上・カメラ北方向が祥雲寺山門で、カメラ西方向が祥雲寺坂になります。
カメラ位置は祥雲寺交差点です。
祥雲寺坂下・カメラ位置は要町一丁目交差点で、カメラ東南東方向が祥雲寺坂になります。