[江戸時代、この付近を俗に大横丁と呼んでいたことからこの名がついた。富士見坂とも呼ばれていた。 (「港区公式ホームページ/大横丁坂」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図」(絵図下中央付近・阿部播磨守(白河藩)下屋敷の右の道が大横丁坂になります。その下方向コウカイハシと記述される道が牛坂になります。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [12]拾七下」(コマ番号3/7・阿部誠一郎(阿部播磨守・白河藩)下屋敷右の道に富士見坂が描かれています。)
「国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麻布区桜田町広尾町及南豊嶋郡下渋谷村近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央右上・谷左に笄川が描かれ笄橋と記述され、その右に笄坂と記述されています。横関英一著「江戸の坂 東京の坂(全)」によると、富士見坂の別名と記されています。)
マーカーは大横丁坂の坂上です。
大横丁坂上・カメラ西方向が大横丁坂です。
ルーマニア大使館前・カメラ西南西方向左がルーマニア大使館です。
大横丁坂下・カメラ東方向が大横丁坂です。